スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

月の港

2010年06月17日 02:29

前回に引き続きワールドカップつながりで
今回はオランダです。
風車とチューリップのこの国は海抜がマイナスの国でもあります。
そのため干拓事業が必須でその技術世界に広まりました。
ワインにおいてはその恩恵を色濃く受けたのはメドック地方です。
はじまりは1599年、へンリー四世は、フランドルのブラバンド地方に基盤を持つ建築請負人に、
フランス中の沼地を干拓する許可を与えました。そうメドックは昔、沼地でした。
その請負人ハンフリー・ブラッドリーは名前からするとイギリス人だったようです。
彼に対する許可は包括的なものでした。ブラッドリーが、資金の工面から、
掘削人の選定まですべてを手配することになっていました。
地主はオランダの干拓業者と繋がリを持つブラッドリーに土地を紹介しました。
地主は建築請負人に権限を与えるために土地を譲渡しなければなりませんでした。
その代わリ請負業者は全ての財政面での危険を負いますが、仕事が終われば、
地代を払ってではありますが、干拓地のかなリの部分をそのまま所有することができました。
2年後には、フランスに住むオランダ人は慣例上の税金を払わずにフランスへ帰化することができました。
ブラッドリーは、影響力のある人たちの興味を掻き立てるのがうまかったようです。
そのため、ボルドー近辺はたちまち干拓されてしまいました。
川にまで延びる深い水路が、今日に残る主な証拠です。時代を経るにつれて干拓者は地位を得、
自分の土地で製造を始める権利を得ました。当然のこととして、多くのオランダ人がこの地にとどまり、
彼らの利益をワイン産業に投資しました。
最良の土地は素早く目ざとい新興商人に買い占められ、
例えばラフィットなどの銘柄物ワインが輸出市場で高値を呼ぶと、
バブルと言われるほどの勢いで土地の買い占めが進みました。
19世紀になり、特にメドック格付けが1855年に行われた後あたりからメドックへの金の流入は加速し、
小規模生産者までが瀟洒な邸宅を建てた。本来「城」などを意味するシャトーという言葉が小さな建物にも適用されるようになったのもこの時代のこと。これが現在我々が見るメドックの姿の起源です。
ちなみに月の港はこの干拓事業でつくられた港周辺の地形をいいます。
世界遺産にも認定されています。

スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://kyoutomusee.blog34.fc2.com/tb.php/134-6149b417
    この記事へのトラックバック



    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。